『NICE EIJI!~父まるだし~』

丸福ボンバーズの『NICE EIJI!~父まるだし~』観てきました。
“生きる”って能動的で、自立してたくましく人生を切り開いていく印象があるけど、実はとても頼りなくてひとりじゃ生きていけなくて、たくさんの人たちに支えられて“生かされている”んだなとつくづく思いました。
記憶を行ったり来たりして、私を形作ってくれたであろうたくさんの人たちに会えた気がして、心があったかく満たされた気分になりました。
福島三郎さんの背伸びせず見栄を張らない、等身大を追求し切磋琢磨するところから生まれる作品の数々。
身体の奥深くから揺さぶられます。

5/17(日)までAPOC THEATERにて。
5/23(土)横浜市泉区文化センター
6/6(土)~7(日)せんだい演劇工房10-BOX

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○ 2015/05/15 10:06 ● かんそうTrackback:0Comment:0

ハンズ・シャドウズ・アニマーレ

人間の手って、すごく存在感があって表情豊かだよな~って常々思ってたけど、今日、かかし座の「ハンズ・シャドウズ・アニマーレ」を拝見して神の手だと感じた。

今、NHKのみんなのうたで、中島啓江さんが歌う「ゆらゆら」って曲、あの背景で動き、ゆらめき、心をひき付けられるのが、このかかし座の作品。

実際に手影絵の世界を観て、これが人間の手が為せる技か、と、そのダイナミックさと、しなやかさと、美しさと、丁寧に心を込めた作品創りに感動しました。
かかし座公演「ハンズ・シャドウズ・アニマーレ」

20日(金)・21日(土)15時/19時
スペース107(新宿)にて。

22日(日)16時
国立オリンピックセンター記念青少年総合センター
カルチャー棟 小ホールにて。

お時間のある方はぜひ! *
○ 2012/07/20 16:44 ● かんそうTrackback:0Comment:0

どうする、人生真っただ中

2011年5月のカンヌ国際映画祭で上映され、部門「ある視点」で最優秀賞を獲得した、アンドレアス・ドレーゼン監督の『Halt auf freier strecke (どうする、人生真っただ中)』を観た。

夢のマイホームに引っ越したごく平凡な一家。
ところが、一家の主である父・フランクはがんで余命数ヶ月の宣告を受ける。

登場する、医師や看護師、セラピストは実際その職業につく方々なのでまるでドキュメンタリー映画を観ているような錯覚に陥った。

誰もがこうであろうと思われる日常が在る中で、彼の病は静かに早く進行していく。
手術ができない場所にあった脳腫瘍だったため、やがて記憶障害がはじまる。
息子の組み立て式ベッドの説明書が理解できなくなったり、家のトイレの場所がわからず娘の部屋で用を足してしまったり、終いには家族の名前もわからなくなっていく。

死への恐怖、絶望感にフランクは家族に当たり散らしていく。
働きながら家事をこなし、夫の介護をし、疲れがピークになっていた妻も、
「あなたはもうすぐ死ぬんでしょ!私はその後も生きて、この家を維持して子供たちを育てなきゃいけないのよ!!」
と泣きながら絶叫する。

とてもストレートな表現だけに心痛んだが、これが現実だし、家族の愛や、絆さえ感じられて胸があつくなった。

そして、妻は自宅での介護はもう無理だと感じるが、
「いくら重病だと言っても我が儘は許されない。怒った方があなたのためにもいい。今彼をホスピスに入れてしまったら、子供たちは苦しむ父親を見て、次にあった時には遺体になっている。それがトラウマとなって死は怖いものだと思ってしまう。死は怖いことではないってことを子供たちに教えなきゃいけない。」
とセラピストに言われ、このまま最後まで家で介護することになる。

そして脳の壊死によって眠りの時間は日に日に長くなり、最後の時が静かに訪れる。

静かに息を引き取る彼を無表情で見つめる家族。
あまりにも静かで穏やかな時間。
そこには ”静かに解放されていく” 家族の姿があった。

そして練習(飛込競技)をずっと休んで父に付き添っていた娘が即座に、
「私これから練習に行ってくる。」
彼女の意外な言葉に、死に向き合い生を肯定し生きていく ”生きとし生けるもの”の姿を見た気がした。

すべてがストレート。(日本人にはなかなか持てない感性なのかもしれない。)
登場人物の誰もが感情にとらわれず、正論で、嘘偽りなく真摯な態度で人と向き合う。
それは、”人生に対する向き合い方”とも言えるのかもしれない。

*
○ 2012/01/22 15:07 ● かんそうTrackback:0Comment:0

光のない。

2004年にノーベル文学賞を受賞したオーストリアの女性詩人でもあり、小説家でもあり、劇作家のエルフリーデ・イェリネクが、今年わが国日本で起きた福島第一原子力発電所の事故に触発されて書かれた戯曲『光のない。』を長谷川寧さん(冨士山アネット)が演出したドラマリーディングを拝見しました。

まるで俳優の身体が楽器になったかのように大量の言葉が口から猛スピードで語られる。
まるで言葉の海が押し寄せるように。
遙か遠い地で起こる出来事に手をさしのべることができず、ただ情報に耳を傾け、事故が起きてもこの日本という場所で生きようとする/生きるしかない私たち日本人への警告や、祈りを必死に叫んでいるように思えた。
イェリネクがこんなに力強い作品を書きあげたように、こんなにも世界中の人々に衝撃を与え、世界中の人々やありとあらゆる命あるのもが共有している大気や海や大地を汚染させて取り返しのつかないことをしてしまった、と日本人として自責の念に駆られた。

津波にさらわれいまだ海の底に沈む人々の声も聞こえる。
時にその光のない場所にいる人々から生きている私たちへの警告や、悲鳴や、叫びや、祈りが暗闇を突き抜け地上へと響き渡る。

遥か遠い場所で、心を揺さぶり感じ創作した日本についての作品を、被災国の人間が言葉にすることで、大震災の大きさをあらためて実感し、今確かに私たちはこの地で生きていることを実感した。

この作品は、2011年9月29日にドイツのケルン・シャウシュピールハウスで初演され(Schauspiele Koeln "KEIN LICHT.")、ドイツで活動する女優、原サチコさんが出演し、大反響を呼んだそうだ。
今でも上演が続いているとのこと、もしケルンに行く機会があるようでしたらぜひ御覧ください。


いつか日本でも上演されるといいんだけど。。。 *
○ 2011/12/18 23:24 ● かんそうTrackback:0Comment:0

砂の駅

太田省吾さんの”駅”シリーズ、『水の駅』『風の駅』『地の駅』『砂の駅』。
そのうちの『砂の駅』を韓国のキム・アラさんが演出して、今日から世田谷パブリックシアターではじまった。
ほとんどと言っていいほど面影はなく、演出家が異なるとこんなにも作品は変わってしまうのかと驚いた。
品川徹さんや、大杉漣さん、鈴木理江子さんといった太田さんと長く時間を共にし、独自の表現の手法を創り出してきたメンバーと、住んでる国も環境も違う、そこから生み出された表現の手法を創り出した演出家と韓国の俳優達の感覚、価値観、身体性の違いがとても興味深かった。

新たに生まれ出るものを期待しつつも、太田さんの世界が懐かしく感じられた。
再現が望ましいわけでもないんだけど、太田ワールドはどの作品も余分なものはすべてそぎ落とされて、これ以上シンプルにならないという状態で、しかもそれが絶対とも言えるくらい完成されてしまっていたんだと思った。
”ただそこに在る(ある/いる)”。
「ただそこにいればいいんだよ」って言われてもなかなかできないことだ。

もちろんアラさんは、そうではないやり方で人間(生命)を描こうとしていたのだけれど。


太田さんは生前『火の駅』を自分とこれまで関わった役者を全員集めてやりたいな~と言ってたことがある。
どういう炎かわからないけど至る所で炎が燃えているらしい。
何か幽玄的で原始的なものなのだろうか?
いずれにしても消防法で上演にこぎつけるにはかなり困難だろうな。。。

今回の作品には『その河を越えて、五月』で共演させていただいたペク・ソンヒ先生や、『水の駅ー2』でご一緒させていただいたナム・ミョンヨル氏が出演されてたし、太田さんの関係者も一堂に会してて、久々の再会に終演後のロビーは歓喜に満ちあふれていました。

砂の駅』は6日まで。
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○ 2011/11/03 23:58 ● かんそうTrackback:0Comment:0
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